SECONDSTAGE

服について思うこと①

2018.03.01 H.H.G

たまには服のことについてH.H.Gを、ということで服について思うこと①です。

SECONDSTAGEをちょうど10年という切りの良いタイミングで終了すると決定したことにはちゃんと理由があります。一番の理由はというと、自分とファッション(業界)との間にどうしても埋められない溝ができたこと。です。その乖離を自分の中でうやむやのままでは続けられず、それがちょうど10年というタイミングもありましたし、SECONDSTAGEという店名通り次の段階へと進まないとうまくいかないタイミングでもあるように思えましたのでそう決心しました。店をはじめたのは27歳で、今から考えると右も左もままならないほどファッションでお洒落なのがかっこいいと本気でそれだけで、それをお伝えできたらと思ってがんばっていたように思います。幼いかったといえばそれまでなのですが。それから時期で言えば2013年の東北地方を襲った大震災、大災害、原発事故が起こったころから一気に今までと180度違う考え方や感じ方を世の中に対してするようになってしまいました。表面ではない深い部分としか言葉では例えられないのですが、本質部分にしか関心がいかなくなってしまい、服に対しても例外ではなくて気がつけば今までと同じ感覚ではファッションを楽しめなくなっていました。半年ごとに繰りひろげられるコレクションにも業界の本質が見え透いてしまい素直に楽しめなくなり、消費者という言葉通り、みんなには何も考えずに妄信的に消費してくれないと業界、作り手、売り手としてもやっていけない、経済、お金が回らない、という悪循環、大きくは経済至上主義の中でただただ大事なものを消耗し続けているような気がしました。業界やメーカー側もあの手この手で消費者の消費意欲が弱まらないようにと新しい刺激を絶えず与え続けるということ。その行為には何かものすごく大切のものを置き去りにしているように思えました。何のために服を作るのか、売るのか。自分達が食っていくため、それだからいけないと気がつきました。それは我、エゴそのもの。我良しそのもの。食っていくため、いう言葉の裏には、食うものを手に入れるためのお金を稼ぐため、という言葉があります。よくよく考えてみると食うためにその仕事をするというのは、食うという行為をするのに大回りをしているように思います。食いたいのなら自分で食うものを作ればいいだけ。食えなくなってしまう心配するくらいなら、と。僕がこれからの人生では農業に力を入れていきたいのはその思いもあります。経済が大きくなっていき、お金ですべて手に入ると勘違いすることで、命を守るものがお金であると錯覚している人も多いのではないでしょうか。お金があれば何とかなると。お金はただの紙切れです。信用の上に成り立つ実態のないものです。最近話題の仮想通貨をみれば一目瞭然だと思います。実態がありません。みんながお金だと信じることで成り立っているだけのものです。簡単にいうとお金は宗教です。みんなから信仰心が無くなればお金の価値もなくなります。紙幣は紙切れに戻ります。話がファッションからそれてしまいましたが、当たり前ですごく大事かなと思います。ファッションもそうです。気を悪くされることがあれば申し訳ないのですが、ファッションは洗脳です。なにを!と言われるのも分かります。洗脳はそういうものです。ファッション雑誌でもそうですが、情報を当たり前のように受け取って、深い部分で意識の中にしっかりととどまって無意識と思いながらも意識的に流れに乗っているのです。流行はそうです。そう簡単には気づかないものです。でも渦中の人はそうなだけで、その外側の人から見ると一目瞭然です。分かってしまいます。西洋中心のファッションが今の中心なのは反論の余地なしですが、どうしてそれがかっこいいってなっていますか。かっこいい、イケてるファッションとどうして思うのか。戦後米国、英国からファッションの文化も一気に流れてきました。意図的に。朝ごはんがミルクとトーストになったのと同じです。気づかないように巧妙に、西洋的なファッションやライフスタイル、食生活がイケてる、かっこいい、新しい世界のスタンダードなんだというキャンペーンがありました。そんなものあるか!という人もいるかと思います。でもそれも一歩引いて見ないと渦中だと分からないものだと思います。なので今ファッション業界が当たり前でスタンダードにしている形式、キャンペーンの仕方、売り方、作り方に疑問があるし違和感もあるし、自分の中の何かが変わってしまった今ではそれを良しとしていくこともできないくなりました。セレクトショップという形態や考え方ももう自分では終わっています。その形態をとることでエンドユーザーが支払う金額も上がっています。製品に対して2重3重も上乗せした金額が値段になるからです。当たり前のことです。作って直接その本人が売ればいい話です。グローバル化が本当に僕たちを豊かにしてくれているのか、いないのか、良い点悪い点あるかなと思います。僕の中で、それでも今の自分にできる精一杯のセレクトをしているつもりですが満足していただけないこともあるかと思います。でも本心としてはこれが今の精一杯のセレクトということです。自分に嘘は付けない太刀なので自分が着たい、心からご紹介したい、と思えるものだけをその中からセレクトしております。数シーズン前に新しく取扱いを始めたBattenwearには僕のそんな思いが乗っかっております。米国からの輸入ということで金額には少し目をつぶっていただきたい部分はありますが、その上でご紹介したいと思える唯一のブランドです。これはものすごく個人的、SECONDSTAGE的な考えですのでご理解くださいませ。僕はファッションという中でずっと仕事してきましたので、見た目のデザインや素材、カラーのチョイスへの妥協はもちろんできません。モノ作りの裏側への妥協も僕はできません。デザイナーの考え方やキャラクターも無視してセレクトはできません。本物じゃないと納得できない人間だと自分では思っております。その目で見てももう何年も自分で取扱いたい、ご紹介したいブランドはひとつもありませんでした。だから自分には才能がないとも思います。自分に嘘をついたり妥協できる才能なら御免なのですが、、。世界中でその日の命をどう生き延びるかの心配もなく、趣味や着るもの、嗜好品にお金をかけることができる恵まれた僕たち日本人が買う服、売る服はどうあるべきか、ここ数年はそのことばかりをずっと考えてきました。当店でもオープンから取り扱っているファッションを得意とするネペンテスの中にも自分なりのそれをずっと探してはセレクトしておりました。なので今のベストは今のセレクトです。そこに嘘はありません。ファッションが好きな方、楽しんでいらっしゃる方の中には満足度がどんどんと減ってきているセレクトかもしれませんが、例えて言えば、今シーズン18SSのセレクトは当然今まででベストです。今の自分の中身や心をセレクトに反映させただけです。大袈裟かもですが、魂を込めてセレクトしております。それが売れない、受け入れていただけないとなればそれまでだと、もう何年も前に腹は括って仕事しています。そこには言い訳もなにもありませんが、当店の、僕自身のセレクトで満足いただける方もだんだんと減っていることもありますので、それもセレクトショップという形態を終了する決心の大きなウェイトだったことも事実です。ちょうどタイミングで、すべてタイミングかなと思います。それでも服や身につけるものすべては生きていく上で無くてはならないものです。衣食住です。その自分なりの究極のバランスを探していました。ファッションという視点を自分なりに越えた向こう側というか、自分の人生にフィットする服、必要な服、実用性と機能性、リラックス感こんな考え方の僕も、自分の店にセレクトしたものを買って毎日着ています。その中にわくわくもあります。楽しいです。でもファッションとしてそう思ったり、買って着たりしていません。誰に見せるでもなく、ただただ自分の人生に必要な相棒のような感覚です。もちろん楽しむのが一番です。そう思っていただける人にお買い物いただけたら嬉しいです。ものが永遠に次から次へと出てきて、新しいもの、新鮮なものを次から次へと求めるという生き方や仕事はもう終わりにせねばと。人は正しく生きるためには、思うこと、言うこと、行うこと、この3つを一致させないといけないとよくいいますので、人生の3段階目のステージにいかなくてはいけないと思いました。長くなり、文脈もよく分からないまま書きましたので読みづらい記事になってしまったかと思います。服について色々と思うこと①でした。